現在は、高校を卒業し一般企業で事務の仕事をしている娘。
小学生時代に通常学級、特別支援学級、特別支援学校、それぞれでの授業を経験した感想を聞いてみました。
すると、リハビリのために3ヶ月だけ転入した特別支援学校が1番幸せだったと。
ここでは、脳性まひのある娘が高校までの学校生活を振り返ったときに1番幸せだったと感じた特別支援学校での生活を振り返ってみたいと思います。
小学校入学時に特別支援学校を検討しなかった理由
小学校の入学にあたり、肢体不自由児学級、特別支援学級の見学には行きましたが、特別支援学校には行きませんでした。
その理由は、以下になります。
- 送迎(支援学校のバスが停まる場所まで)が必要
- 保育園や療育センターで対大人の関わりに偏りすぎてしまったため、放課後や登下校での友達との関わりに期待していた(親)
- 将来を考え、100%バリアフリーな環境での生活に慣れてほしくなかった(親)
これらから特別支援学校を検討から外していました。
そして、就学先に選んだのは、
徒歩で通える地元の小学校の特別支援学級。
転入した特別支援学校について
- 療育センター併設の医療ケアが必要なお子さんが多く在籍する特別支援学校小学部
- 娘が在籍したのは小学4年生の3ヶ月間
下腿三頭筋延長術を受けた後の車椅子利用~独歩できるようになるまで - 地元の小学校で使用している教科書ベースで学習をするため娘1人だけのクラス
娘が感じた特別支援学校のメリット
それでは具体的に、どのような点に娘が幸せを感じたのか。
時間がゆったり流れる
在籍は支援学級でも、
小4当時はほぼ通常学級で授業を受けていた娘。
学年があがるにつれ、別の階や別の棟への移動教室も増えて
大変だったと思います。
地元の小学校での生活に比べ、ゆったりと過ごせる特別支援学校での生活は快適だったのでしょう。

特別支援学校の娘の時間割表です。
地元の学校では8時30分くらいから朝学習が始まり、
6時間目が終わるのは16時近いですよね。
それに比べると朝夕それぞれ1時間ほど短く設定されています。
そして、次の授業がすぐ始まるところを見ると
移動やトイレも大切な生活動作の一部だからか
授業時間のなかに含まれているようです。
体育の着替えやトイレ込みの休み時間と移動教室で
時間に追われることを考えると、
ゆったり過ごせる支援学校にメリットを感じる娘の気持ちが
よ~くわかります。
わかるまで授業が進まない
当時の娘は、小学4年生。
学年相応の授業の理解はだいたいできていて、
読書が好きで算数が苦手な文系タイプでした。
授業は先生と娘1対1なので、理解できるまで説明してもらえ、苦手な算数の問題を解くのも正解するまでは次には進みません。
家庭教師みたいと言って喜んでいました。
とはいえ、算数が得意になったわけではないですが…。
ほかにも図工で彫刻刀を使って版画を彫るとき、滑らないように専用の台を使うなど特別支援学校ならではの工夫が。
これまでは滑り止めシートを敷くくらいしか思いつかなかったので目からウロコでした。
好きなことを尊重してもらえる
読書が好きでお話を考えたり、
絵を描いたりするのが好きだった娘。
イラストを描くのが得意な先生から、絵の描き方を習ったり、
娘が考えた小説をおたよりに連載してもらったり。
地元の小学校で練習していた楽器の演奏ができるように、
音楽の先生とのコラボで発表会を開いてくれたり。
卒業生を送る会では、
司会進行の大役を任せてもらったりもしました。
地元の小学校では経験できないことをたくさん経験し、
たくさん褒めてもらい、たくさんの成功体験になりました。
この成功体験が積み重なることで、自己肯定感も育っていきます。
自己肯定感の育て方はこちらの記事を参考にしてみて下さい。 脳性まひ児の自己肯定感を育てる方法
まとめ
特別支援学校での数ヶ月、いかがでしたか?
娘はリハビリ期間限定での特別支援学校への転入であり、
いずれ転出することが前提だったので、
もしかしたら特別な対応だった部分もあるのかもしれません。
コミュニケーション面や知的な面にそれほど困り感がなく、
通常学級や支援学級を選択するかたも多いと思います。
実際、わたしもそうでした。
しかし、肢体不自由による移動の負担は、
想像している以上に子どもの身体や心へ影響があるのかもしれません。
成功体験を積んで自己効力感、自己肯定感を育てることも
とても大切なことですね。






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