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脳室周囲白質軟化症を告知された日の記憶とわたしの育児の原点

想い
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前期破水のため予定日より約2ヶ月ほど早く産まれた娘。

1300gと小さく、すぐにNICUへ連れて行かれたけれど、産まれたときはホッとして、肩の荷がおりたような気持ちになったのを覚えている。

肩の荷がおりたのは、絶対安静の期間が長く、お腹の中でできるだけもたせなければというプレッシャーを感じてたから。

あれから20年以上たった今でも、出産時の光景やNICUの部屋のつくりは鮮明に覚えているのに、脳室周囲白質軟化症の告知を受けた日のことは、ほとんど思い出せない

頭部のエコーで心配な点がありMRIを撮る。
MRIの結果を説明したいので、両親で来院できる日を教えて欲しい。

そう言われて数日後、主治医からの説明を聞きに行った。

説明を聞いて何か質問したのか、私は泣いていたのか、そのときの自分の姿は思い出せない。

ひとつだけ、病状説明用紙に書かれた内容を読み上げる主治医の『できるだけいろいろなことができるように』という言葉に『…できないんだ』と思ってしまったことは覚えている。

私がサポートしなければできるようにはならない。

時期が来たら座ったり、立ったりできるようになるわけではないんだということは理解できた。

どこまでできるようになるか、どんな症状がどの程度出るのかは、成長してみないとわからない。
そう言われているのに、『…できないんだな』という気持ちだけが重く残った
その言葉の印象だけが強く残っている。

できるだけいろいろなことができるように、
ひとつひとつ積み上げていくしかない。
逆に言えばできるようになる可能性はゼロじゃない。

あのときは不安でいっぱいだったけれど、
“できる方法を考える、試してみる”
そんな私の育児の原点になる言葉だったんだと、今は思う。

できるだけいろいろなことができるように。そして、たのしいこと好きなことが少しずつ増えていくように

その願いは、あの日からずっと変わらない。

先が見えないと怖くて、不安でいっぱいだけれど、少しずつ「できた」が積み重なっていく。

その先には「こんな日が来るんだな」って思える瞬間がちゃんと待ってる。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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