以前、脳性まひ児の母として
外で働くうえでの課題や、
子どもの成長に合わせて変わってきた私自身の働き方についてまとめました。
あの記事を書いたあと、
娘からの言葉をきっかけに、
当時の選択を“今の自分の視点”で振り返ることが増えました。
過去を振り返るきっかけになった娘の言葉
「大学に行きたかった」
「選択肢が少なかった」
娘がそう話したとき、
その言葉が胸に深く残りました。
障害による暮らしづらさの中で、
あの子が感じてきた“限られた選択肢”の重さが静かに伝わってきたからです。
あの頃の私は、そのときの状況の中で、
できる限りの最善を選んできたつもりでした。
それでも娘の言葉を聞いたとき、
「間違っていたのかな」と思う自分もいました。
社会に出た今の娘は、
もしかしたら別の選択肢を望んでいたのかもしれない。
そう思うと、その言葉が私の中に重く残りました。
ただ、あの頃の私には、こんな現実がありました。
当時の私が置かれていた環境
保育園や小学校では、預かり時間や支援員への教室前での引き渡しなど決まりがありました。
小学校にあがってからも、学童保育は校舎の敷地外にあったため、結局は送迎が必要でした。
放課後デイサービスが少しずつ普及してきた頃でしたが、娘の体力を考えると学校終了後の利用は現実的ではありませんでした。
さらに、シングルマザーになった私には、頼れる人もいませんでした。
そうした状況の中で、
私が選べる働き方はどうしても限られていたのだと思います。
時代が変わったからこそ生まれた気持ち
今はテレワークも広がり、
働き方の柔軟性も高まっています。
情報も集めやすくなり、支援の選択肢もゆっくりと広がってきました。
今の環境を見るたびに、
時代が変わることで選べる道がこんなにも広がるのだとあの頃との違いに驚きます。
おわりに
今の時代と比べると、
もしあの頃にも同じような選択肢があったなら――
娘には違う道もあったのかもしれないと揺れることがあります。
それは後悔というより、あの子が歩んできた道をあらためて見つめ直すきっかけをくれた言葉でした。
ただ、その気づきの奥には、後悔に似た思いがほんの少し残っているのも事実です。
これからも親としてできることを考えながら、娘が自分の人生を選んでいけるように、
そばで見守っていきたいと思っています。


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